2003坂内2DAYSエンデューロ24H

#03 Burst mode0000 !

10/25 12:11 START!

経過:00:00 残り:24:00  HS川
 

 12:11分、ヘルメットタッチ方式でスタートフラッグが振り降ろされる。
 

 
 一斉にスタートするマシン達。
 河原セクションをUターンする様に抜けると、所々ぬかるんでいる短めのストレートとタイトターンの繰り返し。
 この時点でもう一度姿が見える。 5番手、なかなかいいポジションだ。
 ここから先は林間コースに突入するため、中に分け入って行かないと状況はわからない。
 HS川は元々テクはあるが、クラッシュをすると派手だ。
 自分の○○○でタンクを潰したり、ノートPCの液晶を踏み潰したり(これは関係ないか・・・)と逸話は尽きない。
 無理せずにこのペースで走ってくれれば問題無い。
 

 撮影班はこの時点で自由行動となり各所での撮影となる。
 Y本建、F田はともに使い慣れた愛機と山中へ、ライダーCチームのS尾も新鋭デジタル一眼を手に山中へ展開、日中は撮影班として活躍する。
 これは同時に各セクションの地形等の情報収集にも役立つのであった。

 当番のメカニックはピット待機、ライダーは休息、他のサポートはラップ計測や昼食の準備・・・ ん?昼食が来ていない。
 もう12時を回ったのに昼食が来ていないのだ! 

 ここで食事について説明しよう。

 24時間の長丁場になると、当然食事が必要になってくる。
 レストハウスの食堂、主催者側が用意してくれるご飯等あるが、確実に入手できるという保証は無い。
 更に、手に入らなかったからと言って「近場のコンビニちょいと」という環境ではない。
 ある意味バーベキュー的なご飯も魅力的ではあるが、天候に左右されるという欠点もある。

 調理担当専任がいないとちょっと辛いことは昨年でわかっていた。
 何しろHSTRは人数が多いから。
 
 そんな中、今年の調理担当柴Tは「実家で作って持ち込む」方式を採った。
 「調理を楽しむ」、「サポートは自分の仕事を果たせば常に現地にいる必要は無い」というコンセプトだ。
 メニューは最終日昼食のみカレー。
 これはHSTRの決まり事だ。
 我々が学生時代に食べていた、「カレーのターバン」(現在はカレーのチャンピオン)のカレーライス。
 少し癖があるが、それが麻薬のように常習性を誘う不思議な食べ物。
 それ以外はパスタメインで要請。
 基本的にはライダーが食って走っても辛くないメニューでなければならない。
 ごはんを食って全力疾走できるヤツもいるが、基本的に最も弱いヤツに合わせなければならないからだ。

 飯が来ない。
 走っているHS川にはどうでも良い話だが待っている者達には重要な問題だ。
 特に2番手のS田は困っていた。
 走る直前には食べたくない。 かといって走り終わって戻ってきたら何もないって事だけは勘弁して欲しい。
 そして撮影班も困っていた。一旦写真を撮りに山中まで出かけてしまうとなかなかピットに戻ることはできない。
 戻ってしまうとその間の撮影ができないことになってしまうのだ。ライダー交代までに食事は終わらせたかったが、
 なかなか食事到着の無線はこないのであった。

  
 そんな中、HS川の周回毎にラップタイムと周回数が無線機から聞こえてくる。
 ファーストラップ8分27秒。
 その後1度は9分台に落ちるが8分台後半、そして8分台前半へとタイムを詰めてくる。
 そして7分59秒に突入。
 アベレージは9分台前半。予定より速いペースである。
 

 「予定」とは今回のHSTR作戦に基づく想定周回数の試算に因る。
 具体的には以下の通りである。


・HSTRの作戦メモより

 チームは3組。
 A:HS川、S田  B:栗T、S木  C:S尾、K山、K森

 11:00〜14:30 A  (←当初は11時スタート予定だったので)
 14:30〜18:00 B
 18:00〜22:50 C
 22:50〜23:05 PIT作業
 23:05〜02:30 A
 02:30〜06:00 B
 06:00〜11:00 C

 基本的に2人チームは3時間30分、3人チームは5時間が持ち時間。
 チーム内の走行順は各チームで決定。
 欠員が1名出た場合は、全て2人チームとなり4時間交代。
 昨年の実績と個人差、昼夜差を考慮し、平均周回タイムは10分。
 ピットタイム合計は90分。

 ―内訳―
  ピット回数はMAX23回と仮定。
  12時間経過時点で、タイヤ、ブレーキパッド、チェーンは交換 →15分/回
  ライト装着・取り外し時 各1回(計2回) → 5分/回
  通常ピット作業(交代、給油・給脂) 20回 → 1分/回
  トラブル時対応  45分

 ラップタイムは日中に関しては少し余裕を見たものであるが、夜間に関しては昨年のデータ無し。
 また、トラブル発生時の対処時間は見当が付かないため、ピット所要時間と同等に45分と過程。

 以上より、

  総周回数:135周

を目標とする。
 日中はそこそこ飛ばしても良いが、転けないこと、止まらないことを優先。
 夜間はストップ回数が増える可能性有り。 

 特に速いチームではない我々にとって頑張れば達成できる数字である。


 そうこうしているうちに柴Tが昼食を持って到着。
 それは予想を絶するパスタフルコースであった。
 
 ここでちょいとメニューをご紹介。

 1.渡り蟹のトマトソース 生クリーム風味
 2.アンチョビのペペロンチーノ
 3.ミートソース パルメザンチーズ風味
 4.焼タラコと生クリーム レモン風味
 5.海老とベーコンのトマトソース
 6.ミートソース ガーリック焼ウインナー添え
 7.ボンゴレ 岩海苔風味
 8.ブロッコリー、菜花、シーフードのオイル炒め

 この他、サラダやスープ、コーヒーからデザートまで用意され、これだけを食いに行っても損は無し、というほど豪華。 
 おそらく全チーム中最も豪華な食事だったのでは無かろうか。
 

 そんな時HS川から「あと1周で戻る」というハンドサインが出る。
 S田はパスタを少し摘むように口に入れ装備を調える。 「必ず残しておいて」と言い残して。


経過:01:32 残り:22:28 S田

 約1時間半走ってHS川が10周で戻ってくる。
 いつもの3時間レースなら”既に半分終了”という浮かれた状態だが、このレースではまだほんの序章に過ぎない。
 昨年持久力不足に悩まされたHS川であるが、今年は十分な余力を残していた。
 転倒で折れたレバーと少々の給油。 約3分半のピットタイムを経てS田が出る。

   
 S田は確実な走りをする。 決して無理はしないため、過去にリタイヤした事は無い。
 3周目で7分台突入。
  ←XR600をストレートエンドでパス!!

 丁度その頃ピットには堀Y御一家が到着。
 練習の時も奥さんと子供連れで奈良からチェイサーTRDをぶっ飛ばし応援に来てくれたいいヤツである。

 S田は更にタイムを縮めていくが5周目で8分台にタイムを落とし緊急ピットイン。
 登り後半でリヤタイヤがパンクしたためペースダウンしたとのこと。
 ホイールごとリヤタイヤを交換し5分でピットアウト。 その後7分台後半をキープし、ベストは7分32秒。
 1時間50分、14周走ってS木へと繋げる。

 S田がその足で残り物のパスタを食っていたのは言うまでもない。
 彼曰く、「旨いものは冷えていてもおいしい」

 また、このころ撮影班予備員の松Fが到着、
 メカニック担当のため持ち場を離れることの出来ないT原に代わり、彼のデジタル一眼を手に山中へ飛び出していく。
 晩秋の山中、早くも日は傾きだしていた。
 


経過:3:31 残り:20:29  S木

 ここからはBチーム、S木&栗Tのセクションだ。
 この時点でゼッケンプレートをヘッドライトに換装する。
 
 スタートが1時間後ろ倒しになったため、仮に1時間半走ると既に17時を回る。
 そのため、少々早い時間ではあるがライトを装着する必要が生じたのである。
 同時にチェーンガイドの修正を行う。 河原やガレ場があるのでどこでヒットしていてもおかしくなかった。
   ←曲がったチェーンガイドをハンマーで叩き修正!
 また、外れかけたサイドカバーも再固定。 もちろん給油も行う。
 18分のピットストップの後、S木が後方を確認しながら出ていく。
 S木はパワーで走るタイプ。 暴れるバイクを腕力でねじ伏せ、昨年から速くなってきていた。
 

  

 8分台前半で周回するが5周目に突然ピットイン。
 「何かカンカン音がする」というのだ。
 アンダーガードに石がヒットすればカンカンという音はするが、そのような事が判別できない男ではない。
 メカニックがチェックをするが特に何も見当たらない。
 50秒で再スタート。
 その後、僅かながらペースが落ちていく。
 昨年はパワー溢れる走りをしていたが、ここのところバイクに乗れていなかった事、そして日常業務の忙しさと慢性的な寝不足が影響していた。

 日も暮れかけた11周目、それは起こった。
 鈴木から悲痛な声で無線連絡が入る。 
 「S木ッス〜、リアスプロケが外れました。 救援お願いします〜」
 『なに? もう一回状況言ってくれ』
 「リアスプロケのボルトが1本しか止まってないッス。 残りは折れてるみたいッス。」
 『今いる場所はどこだ?』
 「わからないッス〜」
 と言ったかどうかは定かではないが、ライダーベルト活躍の時が来てしまったのだ。
  無線で連絡を取ろうとしているY城とメカニックたち

 散開している撮影班と連絡を取り場所を推定。
 同時にどこに行ったか分からないN田も無線で呼び出される。
 すぐさまメカニックとサポート混成の救援隊が組織され、パンク修理を終えている予備のリヤホイールとスタンド、工具を持ち、闇の迫る山中へ飛び出して行く。

 じきに日は暮れ、暗闇の中、救援隊の行軍は難航した。
 重いホイールとスタンドを抱えての川渡り、爆音を立てて通り過ぎるバイクをかわしつつの闇夜の登山。

 「S木君、S木君応答せよ、S木君、S木君応答せよ、…」
 幾度となく呼びかけるが応答は無し。 相当怪我がヒドいのか? メンバーに不安がよぎる。

 つづら折りを何段上っただろうか。
 「あそこだ!」
 一人が叫ぶ。 見るとまたがったまま立ち尽くすS木の姿があった。
 聞けばエスケープ地点まで押してくる途中に無線機を落としたらしい。
   ←山中での作業です

 

 安堵する間も無くコース脇にて応急手当、S木はコース復帰となった。
 残された救援隊は、再び闇の中、下山を開始する。

 この間約40分、パワーが自慢のS木も流石にかなり疲れたようだ。
 

 

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